暗号アンソロジー エニグマ

「絶滅前夜」 新士 悟

    case 200
   1

 その知的生命体が情報伝達の手段として「文字」と呼ばれる媒体を使用していた事実は、わたしに僅かばかりの安堵をもたらしていた。
 先のザイクロン星人の調査研究を知るものならば、この意味が痛いほど分かるはずだ。ザイクロン星人は情報伝達の媒体として「音」しか持ち合わせておらず、いわゆる聴覚を持たない我々にとって、彼らの遺跡資料を解読するのは骨を折り続けるような苦行だった。なかには精神を病み、研究の道から隠居したものもいた、というのは同僚のジョニージョニィの言であったか。
「やあ、パブドヴォレッヂ、田中プロファイルの解読は進んでるか」
 背中の方から文様の変化を感じ取る。噂をすればなんとやら。
 そこにはジョニージョニィがいた。
「相変わらずだよ。田中が生きていたら話は早かったんだがね」
 わたしは咄嗟にそう伝えた。
「珍しいな。あんたが皮肉を表すなんて」
「わたしだって休暇が恋しいのさ」
「こいつらみたいに絶滅した生物がいなくなれば、俺たちも晴れて無職になれるんだがね」
「そうなれば食いぶちも無くなるぞ。冗談はいい加減にして、田中プロファイルの解読を手伝ってくれ。わたしだけじゃリソースが足りてないんだ」
 田中プロファイル(※)はいまのところ、わたしたちの最も重要な関心の矛先だった。
 というのも、その知的生命体が文字を表現していた「紙」と呼ばれる媒体は、ひどく劣化に弱く、我々に解読可能な品質で遺された資料は雀の涙ほどしかなかったのだ。その中でも田中プロファイルは群を抜いて状態の良い代物だった。まるで我々のような研究機関のために意図して情報を遺そうとしたかのごとく。
 しかし自身の所属する生命体が絶滅した後のことを気に掛けようとする気持ちは理解できかねる。ねじの外れた変わり者はどの星にも存在するのだろうか。
「田中もお前みたいなやつには言われたくなかっただろうな。独白が駄々漏れだぞ」
 おっと、わたしの悪い癖だ。自身の思考がそのまま文様に変換されてしまっていたらしい。
「だが、わたしたちの文様は暗号化してるんだから問題ないだろう。見られたとしても機関員以外にはさっぱり分からんさ」
「そりゃそうだけどさ、メスの可愛らしいモノローグならともかく、あんたの独白が視界の片隅に垂れ流されてるのは、それなりに目障りってもんなのよ」
 相変わらずの言葉の悪さだ。しかし余計な気を回さないのはジョニージョニィの美点でもある。何より益体のない話をできる相手というのは、この職業において衣食住の次に重要な代物だ。なにせ我々が向き合っているのは、冗句を返す機能をとうに失った生命群なのだから。
 そう、わたしとジョニージョニィの仕事は、絶滅した知的生命体の調査研究である。
 田中プロファイルを元に、我々は、仮称「人類」の絶滅の所以を突き止めようとしていた。

※厳密にはこの資料群をプロファイルとは呼称しない。プロファイルとは一般に略歴を意味し、プロフィールとも表記される概念である。


   2

 先般のザイクロン星人の絶滅研究の成果からは、聴覚に該当する器官を我々にも実装できないかという議論が始まっており、これはすでに実用化に向けたフェーズへと突入しているらしい。わたしが所属する絶滅研究機関の有用性とも主張すべき好事例である。
 絶滅した知的生命体が遺した文献や、彼ら自身の遺体から技術や情報を得ること。そして彼らがどうして絶滅してしまったのかを理解すること。そうしたすべてがグループ(※)としての選択可能性を潤沢にしていく。とても誇らしくやりがいのある仕事である。
 ……というのが多くの機関員にとっての、仕事以外を顧みないための言い訳である。
 すべては底なしの知的好奇心を満たすため。そのためだけに我々は日々遺跡資料を漁り続けている。特にわたしなんかは家庭も持っておらず、悠々自適な研究ライフを謳歌している。年中休暇が恋しいのだけが玉に瑕だが。
「しかし俺らは運のいい方だよ。聞いたか、一〇五研究機関の話を。またヤバい暗号化パッチを開発したらしいぜ。まるで独裁者だよ」
 ゴシップ好きのジョニージョニィが文様を瞬かせながら入室してくる。休憩の終了時間ぴったりだ。そしてどうやらまたしてもわたしは独白を垂れ流していたらしい。
「特殊な暗号化パッチを一般市民へ適用したって噂は聞いていたが、あそこは本格的に独裁の様相を呈してきたらしいな」
「ああ、セキュリティの悪用さ。大きな自由のために小さな自由を犠牲にしてやがるんだ」
 ジョニージョニィは軽薄な性質のオスだが、この仕事に正統的なやりがいを見出している数少ない機関員の一人であった。彼には家庭があり、二児の父として生活を守っている。そして政治にも敏感だ。
「キーエスクロー制度を他星人から輸入してしまったのは、わたしたちの研究だっただろう。片棒を担いでいる意識は持たないとな」
「だからこそイラついてるのさ。俺はな、種族全体の効用のために研究をやってるんだ。自由を侵害するためじゃない」
 我々のコミュニケーションは基本的に体表の文様を変化させることで行う。文様の状態遷移が一連の意味を生み出すのだ。××××で処理した内容が神経を通して体表に伝達され、平均五ミリ秒で文様が切り替わる。その視覚的なパターンがわたしたちの共通言語である。
 その切り替わりのパターンに「鍵」と呼ばれる情報を混入させるのが、いわゆる暗号化パッチだ。
 これはわたしのような機密研究を行っている者には皆処方されており、機密情報の盗視リスクを低減させるのに役立っている。この暗号化パッチは、同種のパッチを処方されている者同士であれば違和なくコミュニケーションが可能となるもので、処方されている主体の意思次第でオンオフが可能であることが一般的だ。また親密な個人同士で簡易的な暗号化パッチを処方し合う使用例もあり、これまでおおっぴらになるしかなかった我々のコミュニケーションに革命をもたらした。生活にプライベートという概念がインストールされたのだ。
 一〇五研究機関がやろうとしているのはその悪用である。
 一般市民を含め、グループに属するものすべてに特殊な暗号化パッチを強制的に処方し、他グループとの交流を断絶させる。しかも個人同士の暗号化パッチの鍵情報も自動収集される仕組みを組み込んでおり、グループ長の権力を行使すれば、プライベートの内容ですら盗視可能となるらしい。この盗視の手段はキーエスクロー制度と呼ばれており、他星人の言語解析からアイデアを得ている。まさに我々の仕事を独裁のためのツールとして転用しようとしているのだ。
「俺の娘が一〇五グループのやつと仲良くしてたんだが、先週からコミュニケーションが取れなくなったらしくてな。一〇五研究機関に知り合いがいるからそいつに非難声明も送ったんだが、やつも既に俺の文様を理解できなくなっていた。鎖国ってやつだよ。そのうち戦争でも始まるんじゃないか」
「戦争ね……未だにぴんとこないな」
 この仕事を続けていると、戦争という概念によく出会う。種族同士の争いを意味するワードであり、例のザイクロン星人も戦争によって絶滅したと結論付けられている。
 命で命を奪い合うわけだ。利害の不一致や征服欲、その発生理由は多岐にわたる。
 記録上では我々の種族間で戦争が起きたことは一度もない。ゆえに戦争という概念を理解できる者は研究者の中でも限られているのが実情だ。
 しかしジョニージョニィの話を聞くと、笑い話にできない状況に至りつつあるのかもしれない。

※ここでいう「グループ」とは人類における国家に相当する集団単位であると思われる。
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