暗号アンソロジー エニグマ

「頂上と水無瀬と洋上の青春ごっこ」 黄鱗きいろ

 才色兼備完璧イケメン大学生の頂上葉佩(ちょうじょうはばき)には、大嫌いな男がいる。
 その頂上葉佩というのは僕なのだけど、僕が才色兼備完璧イケメンなのは事実だから仕方ないよね。
 表向きは一度も挫折したことないし。実際は挫折の連続の人生なのだけど、最近は挫折なんてしていないと思い込むことにしている。
 僕は完璧。僕がしてきたことは全部僕の思い通り。上手くいかなかったことなんて一回もない。
 そういうことにしている。
 まあそれはともかくとして。
 僕が大、大、大嫌いな男の名前は、日渡近見(ひわたしちかみ)。
 名前の響きだけ聞くと可愛らしい女の子みたいだけど、本人は全くもって可愛くない。
 いや、見た目は可愛いんだよ?
 俗にいう合法ショタと言っていいぐらい。
 女の子たちのグループに混じっては、よしよしいいこいいこされている類の可愛らしさだ。
 見た目だけは。
 中身は一言で言うなら最悪。
 アイツ、僕と同学科の一つ上の先輩なのだけど、出会うたびに僕のことを煽り散らしてくる。
 しかも僕にしかわからない方法で。
 日渡近見という男は首に傷があって、どうやらそれが原因でしゃべれないらしい。
 その代わりに筆談や手話を使っているのだけど、周囲の人間に素早い手話が通じるはずもない。
 だけど完璧天才である僕は例外で。
 つまりアイツは、周囲にはわからない手話で僕のことをけなしまくっているのだ。
 にまにまにまにま笑いながら。
【イケメンのバッキーじゃん(笑) 今日もキモイね(笑)】
【あっは(笑) その服かっこいいと思って着てるの?(笑)】
【取り巻きまた変わってるねえ色男の浮気者くん(笑)】
 穏やかな完璧笑顔のまま僕は毎回それを受け止める。
 だって大人げないでしょ。こんなことで声荒げて怒るとか。
 お兄ちゃんでしょ、我慢しなさい。を地で行ってきた僕にそんなことができるわけないじゃないか。
【病的なシスコンだもんね(笑)】
 ぐぁー! うるさいうるさい! そんなこと教えた覚えはないが!?
 どこで仕入れてくるのか日渡はやけに情報通だ。
 そのくせその情報を悪用ばかりしているから始末に負えない。
【バッキーっていい子ちゃんだよね(笑) あ、褒めてるんだよ?(笑)】
 褒めてないでしょ絶対!
 くっそ、いつもいつもだらしない服装しやがって!
 学内禁煙なのに歩きたばこでゲーム機ピコピコしながら、のたのた歩いているだけでも気にくわないのに!
【うわ、怒る?(笑) 怒っちゃうの?(笑)】
【俺泣いちゃうよ~めそめそ】
 うがー! めそめそまで手話で言うな!
【おおこっわ(笑)】
【怒ったりしたら周りへのイメージ崩れちゃうねえ誰にでも愛されるイケメン後輩くん(笑)】
 ああもう、思い出すだけで腹立ってきた!!



「ほんっと、あの男さあー!」
 お洒落なカフェのテラス席で、僕は声を押し殺して叫ぶ。
 僕の前にはホットコーヒー。向かいに座る青年の前には大きなパフェが置いてある。
 わー、とか言いながらそれを見る彼は、水無瀬片時(みなせかたとき)くん。学科の同期生だ。一応友人をしている。
 アルティメット馬鹿だけど。ちょっと興味があるので。
「聞いてよ水無瀬くん。また昨日、日渡センパイにいじめられてね……」
「うんうん。あ、イチゴだー」
「詳しくは伏せるんだけど、服ダサいって言われちゃったんだ。アイツのほうが絶対にダサいのに」
「うん! 僕、昔誕生日プレゼントに図鑑もらってねー」
「え? 図鑑? いやいやいや、それで日渡センパイが僕のことをあざ笑うんだよ。怒れないだろイケメンくーんって」
「そうなんだ! それでカメムシの産卵がねー」
 会話がドッジボールしている。
 水無瀬くん、完全に僕の話聞いてない。というか本当にどういう思考回路してるのこの子? まあ壁相手だと思って愚痴ってる僕も僕だけど。
「ホントあのセンパイどうにかならないかな……人の悪口言ったら駄目って小学校で習わなかったのかな……」
「ちかちゃんセンパイ、てっぺんくんのこと『生き恥坊や』って言ってたもんね!」
 てっぺんくんというのは彼が呼ぶ僕のあだ名だ。
 頂上だからてっぺんくん。変わったネーミングセンスだよね。
 ……ん? それより今とんでもないことを言わなかったかコイツ。
 僕は手の平を向けて水無瀬くんを制止する。
「待って、水無瀬くんアイツの手話わかってたの?」
 水無瀬くんはこてんと首をかしげるとスプーンをパフェにぶっ差し、手をパタパタと動かした。
【おなかいっぱい! もうこれあげるね!】
 手話だ。
 同時にパフェをこちらに寄せられる。いや、要らないけど?
 僕は頬をひくっとさせて硬直した。
 えーうわーよりにもよってこの子に見られてたとかー最悪だよもうー。
 じゃあ何? 僕が手を震わせて我慢してる瞬間も完全に見てたってこと?
 えーあーもうー。
 というか見てたなら助け船とか出してくれないかな!?
 ……いや無理か。
 水無瀬くんだもんな……馬鹿だもんな……。
「?」
 動かなくなった僕に、水無瀬くんはかしげていた首を逆向きに傾け、ハッと何かに気づいたような顔になった。
 乱暴にぶっ刺さっていたスプーンを抜き取り、パフェをすくって僕に差し出してくる。
「はいあーん!」
 邪気のない顔でニコニコと水無瀬くんは笑う。
 いやそんないいこと思いついたなーみたいな顔されても。
 目の前にはパフェのスプーンが迫っている。
 ……差し出されたものを断るのも失礼だから貰うけど。
「あーん」
 ぱくっと口に含み咀嚼する。 
 周囲の席からきゃあっと女性の黄色い声がした。
 ちらっと見ると、大学生ぐらいの若い女性たちが僕たちを見てざわついている。
 あー水無瀬くん(イケメン)が僕(イケメン)にあーんしたからか。
 水無瀬くん顔だけはいいからなあ。馬鹿だけど。
 そちらにひらひらっと手を振り、存外に美味しかったパフェを僕は自分側に引き寄せた。
 水無瀬くんにぐちゃぐちゃにされた中身をもう一度すくって口に入れる。
 あー糖分が疲れた体に染み渡る……。
 一方、水無瀬くんは僕の前にあったホットコーヒーを勝手にすすって「うえーにがーい」とか言っていた。それ僕のコーヒー……。
「……それでね、昨日も早朝にLINEの通知が来たと思ったら日渡センパイからでさ。よくわからないスタンプだけだったから『何かありましたか?』って返事したんだよ。僕、いい後輩だし」
「コーヒーの原産地ってどこだっけ」
「そしたら鬼のように謎のスタンプが飛んできてさ。で、もう一回『どうかしましたか?』って聞いたんだよ」
「料理雑誌って食べても美味しくないよねー」
「そしたらね、そしたら! 『お前はよぉ! 自分で探すってことをできねえのかよ!』ってボイスつきのスタンプが送られてきてさぁ! 僕は、僕は……!!」
 こぶしを控えめに机にたたきつける。
 水無瀬くんは不思議そうにそんな僕を見た。
「なんでLINEブロックしないの?」
 ヴ、と喉から変な声が出る。
 水無瀬くんにまともなことを言われた。もうおしまいだ。
 でも違うんだ。違うんだよ水無瀬くん。これには理由があるんだ。
「ブロックしたら負けな気がするんだよ」
 地を這うような声で言う。
 あれ、なんかこれすでに負け惜しみじゃない? と一瞬思ったがかき消すことにした。
「アイツ次に会った時めちゃくちゃ馬鹿にしてくるだろうし、僕にブロックされたって事実を絶対尾鰭つけまくった噂流すだろうし、それに――」
 唇から思わず漏れかけた言葉を、一度喉で止める。
 ちらっと水無瀬くんを見たが、コーヒーに立った波に夢中のようだった。
 まあいいだろう彼なら。どうせ理解できてないだろうし。
「……僕は、全部が手のひらの上に乗ってないと気がすまない性質なんだよ」
「ふーん。あ! 蚊だ!」
 水無瀬くんは顔を上げて、飛んでいる蚊を眺め始めた。
 僕はもう何もかもが嫌になってきて、机にだらしなく突っ伏した。
 ゴンッと結構いい音がして、額が机にぶつかる。痛い。
 そのまま顔をぐりぐりと天板に押し付けていると、僕の頭にそっと手が乗せられた。
「てっぺんくんだいじょーぶ? よしよし」
「水無瀬くん……」
 彼のこんな行動に癒されてしまうなんて僕も末期だな……。
 思わずほろりとなってしまいそうなのをこらえ、大きくため息をついた後、僕は顔だけを持ち上げる。
「アイツ最近特にひどくない? 何か企んでなきゃいいけど……」
 ピロン! とLINEの通知音が響いた。僕のスマホからだ。
 ロック画面の通知を見て、僕は顔をしかめた。
 日渡ぃー……!
【今日の占い! 押し寄せる海の香りはドキドキな時間を与えてくれるでしょう! ラッキーワードは暗号!】
 眉間にしわを寄せながらそれを読み切り、僕は仕方なく画面をタップした。
『突然どうしたんですか?』
 よし。丁寧で完璧な後輩だ。
 子供みたいな真似をするアイツとは違う。僕は大人だから。
【素敵なクルーズツアーの招待券手に入れたから譲ってあげようっていうセンパイの優しさだよ?(笑)】
「……クルーズツアー?」
 ぼそりと言う。
 続いて日渡から送られてきたURLには、彼が言った通りクルーズツアーの招待ページがあった。
 謎解き。探偵。脱出ゲーム。
 なるほど、そういうイベントがセットでついたツアーらしい。
 ヒュポッと新規メッセージが届く。
【二人一組だから友達と行けばいいんじゃないかな(笑)】
 間髪入れずもう一つ。
【あっ、バッキー友達いないんだったねゴメンゴメン(笑)】
 スマホの画面にひびが入るかと思った。
 口の端がひくつき、行き場のない怒りに手が震える。
 いるよ友達ぐらい! そりゃあもうたくさんね!
 ほら今もここにだって!
 僕は目の前の水無瀬くんを、ほとんど据わった目で見た。
「水無瀬くん。一緒にクルーズツアー行こう」
「うんいいよ!」
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