暗号アンソロジー エニグマ

『まるでタイムカプセルに遺されたような』 ムルモーマ

 二つの似通った細長い石が木の洞に置いてある。
 一つは横に、もう一つはそれに立てかけるように縦に。
 中を覗けば、使われていない石がもう二つ。
「まだ使われているのか、それとも……」
 そこはアスファルトの敷かれた道路からは一つ外れた、枯れ葉が積もる、人も殆ど通らない狭い道。
 その道から更に外れて、雑木林の中、一際太く高く伸びる老齢な木。
 遠くの道路から車が走る音が時折聞こえて来る。木漏れ日の下、じわじわと蝉が鳴いていた。

1.

 社会人になってから数年。盆休みに実家に帰って来れば、田舎の安い土地の広い日本家屋が出迎える。
 エアコンの効いた狭いアパートとは違って、未だエアコンの無い実家は屋内に居ても暑い日はじわじわと汗を掻く。
 高校生まではこの実家で暮らしていたはずなのに、どうやってこの暑さと向き合っていたのかも思い出せない。
 そんな中、ひたすらにある暇な時間。
 実家に置いてある漫画やらもそこまで読む気にならず、外に出る事にする。今日は日差しは強いが、風も吹いていた。暑いのには変わりないが、何をするにも気怠さのある蒸し暑さではなかった。
 旧友に特に連絡などもせず、ただ何となくで通っていた小学校の方まで歩いて行く。
 広い国道には出ず、住宅街である中道をのんびりと歩く。車がすれ違うのもやっとな幅の、アスファルトが良くひび割れている道路。殆どの家が昭和から建っているような古さを見せつけて来て、他にあるのは墓が沢山ある寺やら、小さい公園やら、材木屋やら。
 洒落たものなど一切なく、強いて人が入りそうな所と言えば、駄菓子屋が一件。老夫婦が営んでいたそこは、盆休みだからかシャッターを降ろしていた。
 そんな、ただの田舎の中道。時々車とギリギリですれ違う。小中学生が自転車で元気に走り去って行く。木も多く、日陰は多い。またその分蝉が多く鳴いており、小便を掛けられないか少し怯える。公園を見ると小学生の数人がこんな暑い外でスイッチを持ち寄って遊んでおり、隅の方で鳩が数匹首を振りながら歩いていた。
 そんな公園から響く平和な罵声を片耳に入れながら、同級生の家の前を幾つか過ぎる。成人式にも大学から帰って来ず、その結果、同級生達への大して連絡手段も持っていない自分は、そんな彼等彼女等の今など知りもしなかった。
 加えて言えば、名前も記憶から飛んでいる位に興味も無かった。
 汗もだらだらと止まらなくなってくる頃、元々は田んぼだった場所は埋め立てられて、遮音性など皆無そうな安っぽいアパートが建っている光景に出くわす。
 それから国道に出ると、車が数多く走っていた。一応、海沿いで観光地でもある地元は、盆には海水浴に数多の観光客が来る土地でもあった。
 けれど悲しく人口は減り続けている。市の中で一日一人生まれなくなったと聞いたのはいつだったか。
 そして、自分のように地元を捨てて都会で働く人も多い。
 結局、都会の便利さにはどう足掻いたところで敵わないところが多い。
 そんな事を思いながら、小学校に着いた。
 とは言え、セキュリティやらが騒がれるようになった今となっては、昔とは違って自由に校庭に入る事も出来ない。
 父親も通っていた程に古く、今となってはその教室の半分も使われていないであろうでかい校舎と、岩山やら鉄棒やらブランコやらが見えるだだっ広い校庭を柵の外から眺めるだけ。
「……もう三、三、四……、十年以上前なのか」
 大学卒業から遡っても、ここに通っていたのはそれ程の時間が経っている。
 思い出される記憶は思わず遠い目をしてしまうようなものが多い。けれど、結構鮮明なままだった。
 記憶というのは多分、数年と数十年の間に大差がない。

*

 汗はだらだらと流れて続けていた。タオルを持って来ているとは言え、そのタオルももう十分に湿気ている。学校の近くには卒業式の時などにも卸されている洋菓子屋などが多少あったりするが、別に空腹でもなく、また汗塗れな状態でその店やらに入る気にはなれなかった。
 自販機でジュースを買って飲み干し、それで帰る事にした。
 三十分程の往復。時間潰しとしてはそう大したものでもなかったが、帰ったらシャワーでも浴びれば、多少は涼しくなっているはずだ。それから遅い昼寝でもしよう。
 また国道から中道へと足を進める。帰りはちょっと逸れて行きとは別の道を歩く。
 学校から結構遠くの方に住んでいた自分は、時によって一緒に帰る同級生が違い、それに合わせて帰り道を決めていた。
 そんな幾つかの帰り道の中で、アスファルトにも舗装されておらず、いつでも枯れ葉に覆われている裏道があった。どういう道なのかも知らないけれど、先は荒れた空き地に細々と繋がっている。
 今でもあるかは分からなかったが、行ってみれば普通にまだあった。
 枯れ葉だらけなのも変わらず、他に誰も人が通っている訳でもない裏道。片方からはアパートの裏側が見える。
「そう言えば……」
 裏道からも外れて雑木林に足を踏み入れる。雑草が生い茂り、碌に手入れもされていない。こんな道を歩いてばかりいたら、すぐにズボンが草の種やら汁塗れになってしまう。
 ……小学生の時は、そんな事全く気にしなかったな。
 そう思いながら、やや大きい木に手を掛けた。その前だけは草が生えていない。踏み慣らされた痕があった。
 その木の洞には小学生の時、待ち合わせの約束に使っていた細長い石がそのまま幾つか置いてあった。
「まだ使われているのか、それとも……」
 石の置き方やどの石を使うかで誰とどこで遊ぶのかを決めて、そう言う秘密の暗号を仲間内で共有する事で盛り上がったりしたものだった。
 別に同級生の中だけで取り決めていた事で、下級生に教えたりだとかそんな事は自分はしていなかったが、もし連綿と続いていたのならば、それはとても面白い事だと思う。
 頭を下げて、ちゃんと中を覗けば石が他にも幾つかと、それから折りたたまれた紙とペン。
「……」
 余り、そういう事をしてはいけないのかもしれないが。気になって手に取ってしまった。

―――――
あかぐすくえなれざかわくたーい?えだのらはりてさすいなゆおいきすんうこねなのでもた。
―――――

 六角形の鉛筆の絵と共に、小学生らしい拙い字でそんな訳の分からない言葉が書かれていた。
 ホラー映画のシチュエーションのようで背筋がぞく、と震えた。
 ただ、ちゃんと見直してみれば。
「……簡単な暗号だな、これ」
 確か、どこかの古代文明で使われていたとか言うヤツだ。
 紙自体も劣化などしておらず、つい最近でも誰かが作った暗号の解読を身内で楽しんでいる事が伺えた。
 恐怖は一瞬で氷解して、その代わりに悪戯心が騒いで来る。
 不審者っぽいかもしれないが、解いてしまう事位は許されるだろうと。
 けれど諳んじて答えを出すのは流石に難しく、スマホを取り出してメモ帳の機能を使いながら解読する。そして出て来た文章を眺めて、少し考えてから、紙にこう書き込んだ。

"丸ごと甘く煮込まれたペコロスが美味しい"

 小学生はペコロスという具材を知っているかも含めて、先に誰かに解かれているのを見つけた時の事を想像すると、少し面白かった。
 紙とペンを元の木の洞の中に戻して、今度こそ帰る事にした。
 道に出れば未だ暑かったが、最も暑い時間は過ぎ始めているように感じられる。
「食いたくなってきたな」
 今日の夜飯は決まっているとしても、明日の夜飯はそれにしよう。ここらの田舎のスーパーでペコロスやらが売っているかどうかは正直余り期待出来ないが
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